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「Moira」とは何か。
2008.10.09 |Category …Moira
今回は「Moira」という女神についてつらつら考察しました。
隠しトラックに言及しているので、内容は以下に畳んでおきます。
隠しトラックに言及しているので、内容は以下に畳んでおきます。
▽つづきはこちら
1. 「Moira」とはなにか
今回は女神の「Moira」についてつらつら考えてみたいと思います。
まず、結論から言えば、私は「Moira」とは、一人の偉大な母親だと思っています。以下、その点について論証します。
2. 直接的な描写
「Moira」が物語の中に直接現れているのは、たったの二カ所です。それらについて一つ一つ考えてみようと思います。
(ア) そもそも「Moira」とは存在するのか
「運命」を概念的に捉える、という考え方は様々なところで見受けられる者であり、本作でもそういう考え方が取られていると解する余地は十分にあると思います。
しかし、本作ではまさに彼女の名をタイトルとする「神の光」が存在すること、そして神が実在する世界であること(「雷神に連なる者」が雷の力を使う、冥王がエレフに語りかけるなどの描写から推測)から、ここでは彼女が存在するということを大前提に考えを進めていきたいと思います。
(イ) 「神の光」
タイトルが「Moira」であることを考えると、これこそが彼女自身の曲であると考えて差し支えないと思います。
まず、この曲の曲番号が「0」であることに着目したいと思います。
CDとしての「Moira」は、「冥王」および「人生は入れ子人形」を除き、時系列順に並んでいると考えられます。これは、そもそも「神話」から「死せる英雄達の物語」までの一連の曲が、ミロスが著し、ズヴォリンスキーが「母の形見(「人生は入れ子人形」より)」として所持していた「エレフセイアー(「人生は入れ子人形」ブックレット部分より)」の内容を謡っているからであると考えられます。
では「0」である「神の光」とは時系列で言えば何処に当たるのか。
ここで、「神話」の中で謡われている内容に注目します。
物語全体の中で「運命の白い糸」といった言葉、「縦糸は紡がれる」といった言葉が出てきていることから、ここで「万物の母」「女神」と呼ばれているのは「Moira」で間違いないでしょう。そこで、「Moira」が自ら天空双神の眷属を生み、最後に「死すべき者」を生み出したことが確定します。
また、これは「それコラ」にて字幕が付いたため発覚したことでありますが「神の光」の歌詞のうち「やがてあなた方は」という部分は「やがて人間は」というルビになっていました。そこで、「神の光」は「人間」に対して謡った曲であることが判明します。そして「人間」そのものに対して「それでもお征きなさい」と呼びかけるのであれば、生み出した時点からそう離れたものであると考えるべきではないと考えます。
以上から、「神の光」は「Moira」が人間を生み出した後であり、時系列で言えばまさしく「0」番、つまり、銀盤の中で最古の物語と考えるべきだと思います。
次に、その内容です。
「Moira」は人間が「問に惑い~灰が空に舞う」と、苦しい思いをすることを予見しています。その上で「火を騙り、風を汚し、地を屠り、水を腐す~神を殺し畏れを忘るるだろう」と、人間が「Moira」の生み出した世界すべてに牙を剥くことを予見していました。
では、何故「Moira」は、「そうはならない運命」を紡がないのでしょうか。言い換えれば、「Moira」が真実運命全てを決定づける力を持つのであれば、彼女は人間が世界を破壊しない未来を創造出来るはずなのです。
これに対し、人間に対して特別の恩寵を与えているという反論が考えられます。しかし、彼女は人間が負う苦悩についても、それを取り除く未来は紡ぎませんでした。
そこで、「Moira」とは「生命を生みだす者」ではないかと考えます。
つまり、「Moira」とはまさに「全ての生命を送り出す」存在であり、それのみの存在、「生命」そのものではないでしょうか。そして、彼女は自分が生み出したものがどうなるのか全てを知っている。彼女に命を生み出す決定権があるか否かは確定できませんが、「神を殺すと」わかっていても、人間に対して「それでもお征き」なさいと見守り続けるだけの、実は平等な存在なのではないでしょうか。
(ウ) 「神話の終焉」
「神話の終焉」における「Moira」の描写は限られています。しかし、ここで「その姿を見た者はいない」と明示されているため、物語の中で「Moira」について語っている人間、そして神(=冥王)の言葉は、全て憶測でしかないことがわかります。
3. 間接的な描写
前述のように「Moira」のことを口に出して語る人間は何人かいましたが、彼らは彼女の姿を見たことがなく、いわば概念的に彼女の存在を知るものでしかありません。よって、彼らの言葉から彼女の実像に迫るのは無意味ではないでしょうか。
4. おわりに
冥王は、「この世界に平等などいない」「彼(=死)以外」と謡いました。しかし、「Moira」が「生命」そのものであり、生み出すという点で平等であり、それ以上の干渉をしないのであれば、実は死すべき者=人間は、その生命の始めと終わりに平等な存在と触れあっていることになります。
「それでもお征きなさい」と見守られ、そして死んだら冥府へと平等に迎え入れられる。そして何の干渉もないのであれば、まさに「人生は運命の贈り物」であり、どう生きていくのかはその人間次第。そして、どのような人生を送ろうとも最後は平等に冥府に行く。
それなら、精一杯生きた者が勝ちだ、というのが銀盤としての「Moira」の主題であるのかな、と思いました。その意味で、実はあの銀盤の主役はズヴォリンスキーなのかも知れません。
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