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桜色地平線

SoundHorizonの考察ブログ

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はじめに。

このブログではこそこそと「Sound Horizon」の考察を行っております。
当然のことながら「Sound Horizon」は勿論のこと関連企業など、公式サイドとは一切関係御座いません。

また、考察しながら考えたりしていますので過去記事が消えたりすることも考えられますが仕様ですのでご了承下さい。
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レオアレネタ発見?

レオン×アレクネタになりそうな考察材料が出てきました。
以下に畳んでおきます。
上記カプがお嫌いな方、ご注意下さいね!!

▼ つづきはこちら

「Moira」とは何か。

今回は「Moira」という女神についてつらつら考察しました。
隠しトラックに言及しているので、内容は以下に畳んでおきます。

▼ つづきはこちら

オリオンの立ち位置。

今回はオリオンについて、です。
大変長いのでご注意下さいね!

▼ つづきはこちら

純粋に感想。

考察ではなく、純粋に「Moira」感想行きます!
一応畳んでおきますね。

▼ つづきはこちら

Moiraストーリー考察。

まだ発売から間がないので、続きに折りたたんでおきますね。



▼ つづきはこちら

解釈に見る冬薔薇の自尊心。

今回はちょっと小ネタ気味に。

「詩人バラッドの悲劇」にて冬薔薇は「そなた、余に枯れてしまえと申すのか」と言いますよね。
エンデュミオが詠った内容に対してその言葉はとんでもない誤読だとは思うのですが、「詩」と「解釈」の間に明確な矛盾が存在します。

詩では
「陛下は二番目にお美しい」
冬薔薇の解釈は
「枯れてしまえと申すのか」=一番になるために枯れるべきという解釈
ということになります。

要するに詩の内容なんか最初から問題ではなく、冬薔薇の脳裏には「自分が一番」であるという図式、が最初からあると解するべきかと思います。
「二番目」と明示されているにも関わらず一番になる方法を模索して勝手に腹を立てたんですものね。

この、明文さえ覆してしまう自己中心的な思考回路があるのならば、彼女の治める国で何が起こっていたのかを推察するのは難しいことではなく。
ローザ女王が立つまでのかの国は、本当に大変だっただろうなと思います。

「Another Roman」とは一体?

最近ふと「Another Roman」とはなんぞや、ということが気になってきました。

そもそも「Roman」とはイヴェールの物語。
イヴェールとは「生と死の狭間」にいる人。生まれてもいないし死んでもいないからこそ自分が生まれてくることの出来る物語≒誰かの人生を探させている人。

対して「もう一つの物語」
ジャケットからしてこちらは「壊れた人形 骸の男 時を騙る幻想の物語」
「死」に傾き、何らかを偽っている物語。

私はこれが「ミシェルの描いた物語」だと思っていたのですが、そうそう単純な者ではないのではないかという気がしてきました。
根拠は「ミシェルがイヴェールの誕生を待っていること」
「生まれておいでなさいといっている彼女の幻想が果たして本当にイヴェールが「骸の男」として描かれている物語なのか。

もう一つ。
ジャケットでヴィオレットの側に描かれている物語。これらは「another」の方が雰囲気が良いことが挙げられます。少年は少女を振り返り、星屑の少女はプルーと向き合い、金髪のローランは刺されていない。
誰も死んではいないのではないか、という仮説が成り立ちうると思いました。


発想が突飛なのは百も承知ですが……
「骸の男」となったイヴェールがこれから生まれてくる物語=「another roman」なのではないでしょうか。死んでいるから生まれてくることが出来る。これはひどく正常な状態であるといえます。これこそが「彷徨った末に見つけた焔(=命)の物語」なのだとすれば、通常の「roman」世界こそミシェルの作り上げた幻想なのではないでしょうか。

すなわち生と死をつりあわせることで、イヴェールを「生と死の狭間」にとどめた末に、ミシェルの都合に合わせて生まれてこさせる。
結果、通常の「roman」では真実の母からの伝言は届かない。

……ちょっと無理があるでしょうか。
熟考してみます。

彼は何処にいるのだろうか?

今回は「冬の人」ことイヴェールについて。

「つながる物語」を語る「Roman」にあって唯一「朝」にも「夜」にも所属しないひどく特殊なお人です。
では此処で最も単純な疑問。

「彼は何処にいるのだろうか?」

生にも死にも所属しない、と概念で言えば一口に済んでしまいますがこれはひどく気持ちの悪いことですよね。
生まれて来る前に死んでゆく僕
そんなことは出来るはずがありません。生まれなければ死んでいくことは出来ないのですから。
これを単純に「流産」と考えることも出来ますし、私自身もそう考えています。
しかしもしも「流産された子=イヴェール」ならば彼は死に属する人間であるはずです。堕胎・流産であってもそれはすなわち赤ん坊の「死」を意味するのですから「生と死の狭間」にとどまる意味がありません。

では何故彼は今なお生まれることも死ぬことも出来ないのか。
可能性としては二種類でしょう。

・イヴェール自身に何らかの不確定要素(魔力的な何か)がある
・ミシェルによる干渉がある

前者についてはイヴェールがそもそも特殊な事情のもとにおり、双子の人形に世界を廻らせている以上、何らかの力を持っていても不思議ではありません。
但しイヴェール本人が「生まれてくるに至る物語」を探させている以上、少なくとも恣意的な「力」ではないと思われます。

後者。ミシェルはイヴェールに対し「生まれておいでなさい」と語っている。彼女は何らかの事情で「彼が生まれてくる」ことを望んでいることから一見彼を「生と死の狭間」に置くことは好ましくないようにも思えます。
しかしながら、もしもイヴェールを「生と死の狭間」にとどめることによって彼女が望む時代・望む場所に彼が生まれるように彼を誘導しているとしたらこの説もあり得ないことではありません。


個人的には後者だと思っています。
根拠として、わざわざかの「殺戮の舞台女優」が此処まで出張ってきたその理由がイヴェールにある以上、彼の運命に深く関わっているのは彼女でしかあり得ないでしょう。

さて、イヴェールは誰のもとに生まれることになるのでしょうか。


英雄の駈けた時代。

アルヴァレスの生きた時代はいつだったのでしょう。
白状しますと、クロセカの序盤に登場すること、及び騎士という言葉、火器が存在しない模様である、という幾つかの事項からごくごく勝手にシャルルマーニュの時代を思い浮かべていました。
数字を出すなら9世紀、シャルルマーニュ=サン・キルデベルト6世のイメージでした。共通項を挙げるのならば後半生における戴冠、帝国の成立、領土の大規模拡大です。

……が。
「見えざる腕」あたりでちょっとこのイメージが崩れかけました。あのとき出てきた酒場の音のなかに混ざっていたコルク。シャルルマーニュの時代にはまだなかったはずのものです。

そしてこのたび聖戦のイベリアを聴いて頭抱えました。
聖戦のイベリア末尾にあった「ピレネー山脈」
アルヴァレスは超えていってカステーリャ滅ぼしていますものね。ということは「聖戦と死神」はレコンキスタより後、ということになります。
史実にいうレコンキスタは1492年グラナダの陥落によってイスラム教圏がなくなることで終了しています。詳しくはイベリアの考察をするときにでも書きますが、「聖戦のイベリア」がレコンキスタの終了を告げている以上、あの曲の終了は1492年、つまり15世紀末。

……古くても16世紀の話ですか、「聖戦と死神」
銃器は15世紀の初めに戦史上登場しているはずなので、もしかしたら「聖戦のイベリア」におけるレコンキスタが早期の決着を見ている可能性もあります。それ以上に「聖戦のイベリア」→「聖戦と死神」がブラフである可能性も否定できないのですが。

ブラフではない、という仮定のもと話を進めるのならばもうひとつ「聖戦と死神」と16世紀を結びつける存在がいます。
冬薔薇=ブラッディメアリー
英国女王エリザベス一世の姉にして苛烈な宗教制作で知られるメアリー一世の在位は1553~1558です。そしてその後に続くエリザベス女王が「良き女王」として英国国民に愛されていることにも(最もエリザベスはメアリーを殺してはいませんが)類似性は見て取れます。

「黒の凶弾」は弓であろうと思われていましたが、案外本当に銃弾であったのかも知れませんね。


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